DEATH「死」とは何か
人は、必ず死ぬ。
だからこそどう生きるべきか
という言う言葉に惹かれ、ページをめくりました。
『DEATH「死」とは何か』 シェリー・ケーガン著
イェール大学で23年連続の人気講義
私たちは何者なのか?
人間とはどのような存在なのか?
そしてとくに重要なのが、私たちに魂があるのか、という疑問だ。
いったいぜんたい、存在し続けるとはどういうことなのか?
たとえば、私が明日まで生き延びるとは、何を意味するのか?
身近な人やTVで慣れ親しんだ著名な方が
なくなるというニュースを耳にし、
ドキッとさせられることがおおくなりました。
「死」というものについて考えさせられる年代に
なってきたからでしょうか。
物体的な身体と非物質的な魂があるとする「二元論」と
魂は存在せず、身体だけがあるとする「物理主義」
著者は物理主義に立場が妥当と思えるとする、が。
魂など存在しない。私たちは機械にすぎない。
もちろんただのありきたりの機械ではない。
私たちは驚くべき機械だ。
愛したり、夢を描いたり、創造したりする能力があり、
計画を立ててそれを他者と共有できる機械だ。
私たちは人格を持った人間だ。だが、それでも機械にすぎない。
そして機械は壊れてしまえばもうおしまいだ。
死は私たちに理解しえない大きな謎ではない。
つまるところ死は、電灯やコンピューターが壊れうるとか、
どの機械もいつかは動かなくなるいったことと比べて、
特別不思議なわけではない。
人生100年時代などと言われだしたり、
AIやIoT、ロボットなどとデータ至上主義が注目されたりと
人間と機械あるいはアルゴリズムが相即するなかで
死に向き合うことの大切さが感じられます。