ホモ・デウス ~テクノロジーとサピエンスの未来~
『ホモ・デウス ~テクノロジーとサピエンスの未来~ 』 ユヴァル・ノア・ハラリ著
イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリが前作の『サピエンス全史~文明の構造と人類の幸福』に続いてサピエンス(人類)の未来を描いています。
『サピエンス全史』では7万年前から3万年前にかけて見られた新しい思考と意思疎通の「認知革命」その後「農業革命」を経て、5000年前に書字や貨幣の発明によって広がり、「科学革命」へと展開するサピエンスの過去を扱っていました。
■この世界に意味を与え散る虚構を読み解くこと
「共同主観的現実」、神話や虚構を創出することによって共通の物語のネットワークが生み出され、この世界に意味が与えられました。
「神や企業やお金や国家は私達の想像の中にしか存在しない。私達は自分に役立てるためにそれらを創り出した。それなのになぜ、それらのために自分の人生を犠牲にしているのか?」
人間至上主義(ヒューマニズム)においては、意味と権威の源泉が天(神)から人間の感情に移ってきました。自分自身の内なる声に耳を傾けることで自己の存在意義、価値を確認するようになりました。
■ヒューマニズムからアルゴリズムへ
そして現在は人間至上主義からデータ至上主義に移行しつつあるのでは?
AIやIoTの進化、「生き物はアルゴリズムである」とする生命科学の進化にともない、
人間からアルゴリズムへの権威の移行が生じつつあるという可能性が感じられます。
いわば「ポスト自由主義の世界」。
■無用の大衆とホモ・デウス
我が国では働き方改革というような言葉が政策として唱えられていまうが、
作者は「AI+BI(ベーシックインカム)」的な働き方と「AI+VC(ベンチャーキャピタル)」的な働き方に二分されると推測しています。
人々の有用性が徐々にAI等に置き換えられ、前者は無用の大衆となり、薬物とかコンピューターゲームに心地よさを求めるようになるという流れが、
後者は少数のアップグレードされた超人エリート層「ホモ・デウス」となると予測しています。
21世紀の医学は病気を治すよりも、健康な人をアップグレードすることに注力するようになると。
「知能は意識から分離しつつあり、意識はもたないものの高度な知能を備えたアルゴリズムが、
私達が自分を知るよりもよく私達を知るようになるかもしれない。」
「自動車が馬車に取って代わった。私達は馬をアップグレードしたりせず、引退させた。
ホモ・サピエンスについても同じことをする時が来ているのかもしれない。」
■問い、そして考えること
最後に著者は3つの重要な問いを提起しています。
1.生き物は本当にアルゴリズムに過ぎないのか? そして、生命は本当にデータ処理に過ぎないのか?
2.知能と意識のどちらのほうが価値があるのか?
3.意識は持たないもののの高度な知能を備えたアルゴリズムが、私たちが自分を知るよりもよく私たちを知るようになったとき、社会や政治や日常生活はどうなるのか?
コンピューターが人間の知能を超えてしまう「シンギュラリティー(技術的特異点)」は2045年くらいに訪れると人工知能研究の世界的権威、レイ・カーツワイル氏は予測したが、「ポスト自由主義の世界」を私たちはどのように創り出し、あるいは創り変えていくのだろうか。